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世界に広げようEDAの輪! 第2回 Chartered Semiconductor社 吉田 秀和氏

連載コラム「世界に広げようEDAの輪!」の第2回目です。
初回の本垰様のご紹介により今回登場頂くのは、サンノゼ在住の現役エンジニア吉田 秀和さんです。
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■世界に広げようEDAの輪! 第2回 「EDAからの恵み」 

Chartered Semiconductor Manufacturing Design Engineering 吉田 秀和

皆さん、はじめまして。 Chartered Semiconductorの吉田秀和と申します。
現在、北米支社に於いて各種IPのシリコン上のバリデーションプロジェクトに携わっております。一言でValidationと言っても、IPの妥当性、設計フローの開発、プログラミング、論理設計、物理設計の実行、E-Testの監督、そして審査レポート Etcと実務が多枝の為、日々忙しくしております。
日本では、主に半導体メーカーグループ会社で社内製ECADの開発に携わっておりました。

TOOL社 本垰氏からの2番走者ということで、今回は「EDAからの恵み」ということで、私事ではありますが、ブログ的に綴って見たいと思います。 過去、私もEDAサポート業務を経験済み(約6年)でして、その経験が現在の私にとって設計・開発業務に相当役立っています。

日本での会社勤めに対する姿勢も確実に変化するであろうと考えていましたし、シリコンバレーへ移住してきた前後、悲観的に思われるかもしれませんが、日常的に「解雇になることもあろう」と思っていました。若いうちに思っていることを実行するというのが、自分なりの先見への解だったわけです。 失敗しても良かったとも思っていたんですよ。(笑) 自分は、あまりプレッシャーを感じない性質なのか、「何時でもクビ!」みたいな妙な緊張感は楽しかったです。
(現在でも、「あんた、首!」と言われても驚かないでしょう。??)
このエリアで学んだことは、アメリカ版「山本五十六・男の修行」と言ったところでしょうか。(笑) アメリカでの生活は日本以上に、男気みたいなの必要と思います。

上記にあるように妙な緊張感の為、面白い夢を何度もみました。 例えば、場所は西新宿、言葉は英語、又は、場所はサンフランシスコ、言葉は日本語。目が覚めると場所は家具付きアパート。 「あ、ここはアメリカか。。まだ、クビではない。良かった?。。。」と。窓から見えた景色は快晴で、よく元気を貰いました。
当時、家も安く、物価的にも日本(都内)よりも3割安といった感じだったでしょうか。ガソリンも約25円/L、住宅購入もH1-Bビザ保持者でも土地150坪程の一軒家が三千万円弱で購入出来る時代でした。日常が刺激的で、毎日楽しかったです。

当時、EPIC Design Technology, Inc(当時、既にIPO済)で、全プロダクトの日本向けサポートを代理店を通じて行っていました。基本的にはサポートの「何でも屋」でしたが。。。(笑) この「何でも屋」経験が良かったのかもしれません。その当時、代理店の方々から精神的に大変お世話になりながら、日本でのやり方とUSでの異なるやり方を相当勉強させていただきました。(当時のお世話になりました代理店EPICサポートチームの方々へはどんなに感謝しても感謝し切れません。 ありがとうございました。)

代理店として、日本の市場に、いち早く新技術導入に御注力されてきた歴史、人脈、経験を持つリーダーの居られる代理店とのタンデム経験は、若かった自分には財産の一つといえます。

当時一番苦労したのは、開発チームから実際の仕様を引き出すこととその検証でした。これが無いと先に全く進めず、、、 しかし、開発チームや代理店の方々とのやり取りをさせて頂く中で、如何に設計側の局所的な要望に潜む問題と、自己先入観との間に在る危機を管理するかということを悟りました。日本では、私の記憶の範疇でですが、意外とEDAに修正・改修を当然の如く強行すると言った
感がありましたが、USでは余程のことが無い限り回避策で設計をスムーズに且つ合理的に行う文化があると思います。私には、このような考え方が、受け入れやすかったです。必然的に設計フローも分かれるわけですが、このような考えであれば、EDAサポート経験を実際の物づくりの現場で生かして行きたいと考えるようになったのが、EDAから設計への転進理由の一つでした。実際、「CADエンジニア=設計者」というここ数年ですから、後に転職したCommunication ICのスタートアップでも相当スムーズに事を追行出来たのも、EDAサポート経験中の切磋琢磨のお陰だった筈です。


第一次投資で、駆け出しのスタートアップに売り込みに来られる大手EDAベンダーは、後日連絡して再度詳細な情報を求めても、全く返事が無いことが多かったり、ソフトの評価そのものに課金してくるような信じ難いベンダーも少なくない中、旧EPICからスピンアウトしたEDAスタートアップの方々は本当に親身に問題を聞いてくれたり、Solutionを提供してくれたり、感謝感謝でした。 恐らく、日本でもこのような親身さとテクノロジーの高さで成功したのか、結果としてIPOを果たしたベンダーや、大手EDAベンダーと合併したりして成功を収めたベンダーもあったので、私としても大変嬉しかったです。

しかし、大手EDAベンダーでも、結局は人付き合いということなのか、営業マンが絡まない案件では、サポートエンジニアの方とも仲良くなるとOfficeから飛んできてくれたり。 問題を把握してくれると行動の速さは、和製テックサポートより速いと思います。

アメリカで生活していると、日常生活で生じる諸問題への対処の仕方というのが全て先方が汲み取ってくれるわけではなく、問題とその可能であろう対処法を相手に伝えて初めて話が絡み合うという文化の違いがあります。しかし、先方が問題を認識すれば、彼らの行動は早いです。仮に、そうでなくても、結局問題は解決するので、怒らずゴリゴリ攻めるが基本。(笑)

一般的に、各社設計自動化の部署が現時点でどの程度存在しているのか、現状を把握していませんが、Bug=修正せよ、 改善要求=次期リリースせよ 等の様な待ち行列に入ったようなEDAベンダー依存型のスタンスを継続するのは無理且つ高価なので、設計フレンドリー EDAフレンドリーな設計手法と回避策の知識データベースの蓄積を社内インフラで確立・邁進することが一番の手法ではないかと信じて日々格闘しております。ベンダーには、よっぽどのことが無い限り「必ず改修せよ!」だけは言わないようにしております。 解は一つではないので。

EDA業界から得た恵みは、人付き合いであったり、生活拠点を決定可能にさせてくれたり、計り知れないものがあります。今後、どのような方々とお会いすることになるのかと思うとワクワクしますし、サブプライム問題やリセッションで大打撃を受けている半導体業界離れを耳にしますが、まだまだやれるべき事、やらねばならぬこと多々あると思うので、私としては何とか面白く考え、前向きに邁進したいと思っております。 少なくとも、週末のバドミントンリーグでは、半導体業界のような浮き沈みの無い様、自分の勝負魂は鍛えておきたいと。。 ゴメンね、山下さん&マヘッシュ!(内輪話で失礼します)

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お次のバトン走者、庄田尚弘氏は、娘の通っていた小学校の父兄ということでお知り合いになった友達です。知識が大変豊富な私の尊敬する諸先輩の中のお一人です。
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<筆者プロフィール>
 吉田 秀和(よしだ ひでかず)
 Chartered Semiconductor Manufacturing
 Design Engineering

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略歴:

1990年 東芝CAEシステムズ入社 電気系CAEの開発に従事(現・東芝インフォメーションシステムズ株式会社)
1995年 渡米 EDAを経て現在に至る

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【世界に広げようEDAの輪!バックナンバー】

第1回:「私が初めて"世界"を感じた時」 TOOL株式会社 本垰秀昭氏

 

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